
『ピアノ・レッスン』は、19世紀半ばのニュージーランドが舞台の映画です。
結婚のためにスコットランドからニュージーランドに渡った主人公エイダと娘のフローラ。
6歳のとき以来言葉を発することのできないエイダにとって悦びでもあり、自らの思いを伝える手段でもあるピアノを伴い夫となるスチュアートの
もとへやってきました。
その地でエイダが夫ではなく、先住民と同じような暮らしをしているベインズに惹かれ、エイダとベインズの間に芽生えた愛が描かれています。
この映画のみどころを一挙に見ていきましょう!!
基本情報
脚本・監督:ジェーン・カンピオン
・女性として初めて第46回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞
・第66回アカデミー賞で主演女優賞・助演女優賞・脚本賞の3部門を受賞
・フランス/ニュージーランド/オーストラリアによる合作映画
・製作会社:ミラマックス
キャスト
ホリー・ハンター(エイダ・マクグラス)
ハーヴェイ・カイテル(ジョージ・ベインズ)
サム・ニール(アリスディア・スチュアート)
アンナ・パキン(フローラ・マクグラス)
他
浜辺に置き去りにされるピアノ

主人公エイダは結婚のために娘と一緒にスコットランドからニュージーランドへと渡ってきました。見知らぬ土地に嫁ぐエイダの心中はきっと不安(もしかしたら恐怖も)なものだったでしょう。ボートから降りて陸地へと運ばれていくエイダの表情や荒々しい海という周囲の情景は、そういった彼女の心情をダイレクトに観ている私たちへ伝えてきます。
その後もこの映画ではピアノ自体がとても重要な役割を持っていますが(ピアノはブロードウッドだそうです!!)夫であるスチュアートに運ぶのを拒否され浜辺に置き去りにされたピアノと音楽が織り成す象徴的なシーンが冒頭からあって、観ている私たちの気持ちも一気に作品に引き込まれていくようです。
後日、エイダはベインズ宅を訪れピアノを運んで欲しいと頼み込みます(話せないのでフローラが通訳のようにしてエイダの言葉を伝えます)。
初めは断るベインズでしたが、とうとう根負けしてエイダとフローラを連れて浜辺へと向かいます。
ピアノが無事だったことに安堵したエイダはその場でピアノを弾き始めます。それに合わせてフローラが踊ります。2人の楽しそうな様子を見てベインズはエイダにとってピアノがどれほど大切なものなのか理解します。
このピアノを巡るベインズとスチュアートの対応はとても対照的です。
そしてこれはそのままエイダへの接し方に通じています。
一方は相手を理解しようとする。
もう一方はそれが出来ず、向き合うことができません。
対照的な2人ー2つの取引
ベインズとスチュアート

エイダの頼みでピアノを運んだベインズはスチュアートに取引を持ちかけます。
自分の所有する土地とピアノを交換したい、その上でピアノのレッスンをエイダにお願いしたいと。
ピアノには一切興味がなく、言ってしまえば自分は何も失うことなく土地を手に入れられるこの取引をスチュアートはエイダには何の断りもなく、了承します。
スチュアートとしては夫婦の共有財産ということで、エイダに対し悪いことをしたなんて思いません。
エイダは当然怒りますね。そしてピアノを失ったことでかなり情緒不安定になってしまいます。
ベインズとエイダ

こうしてエイダとしては全く不本意ながら、ベインズ宅でのレッスンがスタートします。
しかしベインズにピアノを教えるのかと思いきや、ベインズはエイダに弾かせるのみで自分は聴いていたいと言い出します。
訳がわからないといった様子のエイダにベインズは続けます。
黒鍵の数だけ願いを聞き入れたらピアノを返すと。
ベインズがエイダに与えた希望です。ちょっと姑息ではあるものの、エイダとしてもピアノを取り戻すチャンスが舞い込んできたことでこの提案を承諾します。
こうして奇妙な形でベインズ宅でのピアノレッスンが始まりました。
次第にエスカレートしていくベインズの要求に困惑しながらも、エイダの中にはベインズに対する好意が芽生えていきます。
美しい音楽

この映画において、主人公エイダの声や感情を代弁するものとしても重要な役割を果たしたのが音楽です。
悲しみを纏いつつも希望を見出そうとする心。
苛立ちや嫌悪、不安が見え隠れするさま。
激しく愛し、互いを求める感情の昂り。
どのシーンを見ても、音楽がセリフ以上に語りかけてくるような、そんな映画ですね。
エイダたちがスコットランドからニュージーランドに到着した翌日、ようやく迎えに来たスチュアートはピアノを運ぶことを拒否して浜辺に置き去りにしてしまいます。
ぽつんと残されたピアノをエイダが遠くの高台から見つめるシーンは本当に胸を打つものがあります。
このシーンのBGMにもなっているのが『楽しみを希う心』(The heart asks pleasure first)という、マイケル・ナイマンの曲です。
有名なので聴いたことがあるという方も多いのではないでしょうか。
美しいですね。
印象的なラスト
物語は、エイダがベインズに海で捨てさせたピアノが海底に沈んでいるシーンで終わります。
音のない、静かな海底でそのピアノはエイダだけにそっと囁いているようです。
音楽がとても印象深い本作において、静寂の中でエンディングを迎えるというのは、ここに至るまでに終始人間のドロドロした感情を見せていた分、かえって際立つように感じられます。
結婚した身でありながら、不倫に身を委ねてしまってもなお、エイダの心、愛はまっすぐだったのだと救われるような気分になります。
まとめ
娘のフローラを連れてベインズと共に新しい生活を始めたエイダは、ピアノの講師をしたり声を出せるよう訓練を始めたりと、とても前向きに過ごし、明るい表情を浮かべています。憑き物が取れたような晴れやかな笑顔は、ベインズが、自分の愛する人が自分自身をありのまま受け入れ愛してくれていると感じられるからなのでしょうね。
本作が教えてくれるのは、【愛すること・愛されること】その有り様ではないでしょうか。
(もちろん時代背景、その世界の常識に照らして考えれば)スチュアートのエイダに対する接し方を全て否定することは難しいでしょう。しかし「結婚したからには、互いに犠牲を払わなければならない」というような考えや、妻(エイダ)が何よりも大切にしているピアノを重いからと捨てて行ってしまったりという行動からは、少なくとも相手を知ろう、相手の心に耳を傾けようというような姿勢は見えてきません。その点、(やり方はスマートでもないし、何なら姑息ですらあるが)ベインズのエイダにピアノを返すという行為には、エイダが何を望んでいるのか受け止め、エイダの心に寄り添う様が伺えます。両者の決定的な違いが、エイダへの接し方、愛し方によく表れています。
いつの時代でも、どんな状況でも、愛することの第一歩は相手の心に寄り添うこと。
美しい音楽に乗せてこの作品が私たちに届けてくれるのは、そんなメッセージではないでしょうか。